すがわら | なおし | |
菅原 | 直志 |
元日野市議6期23年・第28代 日野市議会議長
1968年 (0才) | 岩手県一関市生まれ。3人兄弟の次男。 |
1975年 (7才) |
小学2年の秋、父親を交通事故で失う。
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中学時代 |
新聞配達で家庭を助ける。
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高校・大学 あしなが奨学金で進学。 | |
1983年 (15才) | 岩手県立一関第一高等学校入学。 |
1986年 (18才) |
私立文教大学教育学部入学。
交通遺児学生寮 「心塾 (日野市旭が丘)」に入塾。
心塾では、4人部屋、朝6時起床、あいさつ、読み、書き、スピーチのプログラムで鍛えられる。
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1988年 (20才) | ブラジルに一年間の留学、アマゾン奥地にて日本語教師。 |
1991年 (23才) | 新日鐵化学(株)に入社。2年半のサラリーマン生活。 |
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1994年 (25才) |
日野市議会議員選挙①。
8位で![]() |
1995年 (26才) | 結婚式2日後、阪神淡路大震災。夫婦で現地ボランティア。 |
1997年 (28才) |
福井県ナホトカ号重油流出事件。
現地に日本一早くかけつけた政治家と言われる。
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1998年 (29才) |
日野市議会議員選挙②。1位で
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犯罪被害者の問題提起。6年後に日野市の条例制定。
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2002年 (33才) | 日野市議会議員選挙③。 5位で![]() |
2004年 (35才) | 新潟県中越地震発災。 現地ボランティアにかけつける。 |
2006年 (37才) |
日野市議会議員選挙④。 20位で
![]() 自殺対策を提起。 6年後に日野市の条例制定。 (全国2例目)
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2007年 (38才) | がん対策を提起。 6年後に日野市の条例制定。 (多摩地域初) |
2008年 (39才) |
貧困の世襲化、格差の固定化を問題提起。 9年後に日野市が「日野市こどもの貧困対策に関する基本指針」を策定。
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2010年 (41才) |
日野市議会議員選挙⑤。 3位で![]() ![]() |
2011年 (42才) | 東日本大震災、現地ボランティアは50回を超える。 |
2012年 (43才) | いのちを守る道路、ゾーン30などの施策提案。 |
2014年 (45才) |
日野市議会議員選挙⑥。 12位で
![]() 第28代日野市議会議長に就任。
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2016年 (48才) |
「子どもの貧困対策東京議員懇談会」を起党派で設立。
熊本地震発災。現地ボランティアにかけつける。
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2017年 (49才) | 東京都議会議員選挙①。1位で![]() |
2018年 (50才) |
台風15号発災。千葉県富津市で現地ボランティア。
東京都議会厚生委員会副委員長に就任。
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2019年 (51才) |
東京都議会 経済・港湾委員長に就任
政治活動25周年を迎える
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2021年 (53才) |
東京都議会議員選挙②。1位で
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網膜剥離で入院。3カ月新聞を読めない生活を送る。網膜剥離のステロイド治療でムーンフェイスにもなりました。(現在:完治)
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2022年 (54才) |
コロナ禍。トー横キッズ(歌舞伎町)の支援に関わる。
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2023年 (55才) |
コロナ禍。厚生委員として「医療と福祉」を担当。
こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)を訪問。(熊本)
都議会で「孤独・孤立対策の必要性」を提言
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2024年 (56才) |
極低体重児のいのちをつなぐ「母乳バンク」を提言
避難所改革を小池都知事に提案
能登半島地震の現地ボランティア(3回)
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大きなことを成そうと | 力を求めたのに |
謙遜を学ぶようにと | 弱さを授かった |
幸せになろうとして | 冨を求めたのに |
賢明であるようにと | 貧困を授かった |
地に落ちた一粒の麦が | 芽吹き育つように |
忍耐強い努力で 人のために尽くしたい |